チレ・ハバネロとトマティージョを頂きました。
チレ・ハバネロ(正しいスペイン語の発音は、チレ・アバネロ)は、世界で一番辛いといわれるかの有名な唐辛子。日本では「暴君ハバネロ」などの激辛スナックで最近おなじみですね。
ただ、「暴君ハバネロ」のパッケージに描かれているのは、どうみたって太めの鷹の爪で、実際のチレ・ハバネロは、もっとやさしそうな姿をしています。
知らなければ、パブリカの一種と思ってしまいそうな黄色。
こんなものを日本で栽培していようとは...。

むろん、そのまま食べるわけにはいきませんので、(そういう人もいるらしいですが)、酢漬けにしました。酢漬けにすると辛みがかなりマイルドになるからです。思い立って、ユカタン地方風に紫タマネギの薄切りで作ってみると、ほら、こんなにきれいなピンクのピクルスが出来上がり。
これで、ちょい辛程度です。
それから、トマティージョです。トマトというより実際にはホオズキの一種で、ホオズキそっくりの皮を被っています。これを剥いて煮て、サルサ・ベルデといわれるメキシコ料理の緑色のソースを作るのです。
チレ・ハバネロにマンゴーでコクを出したこういう市販ソースもありますので、ちょっと興味のある方は、お試しになられてはいかがでしょう。

ついでに、ちょっと関係がないではないので宣伝。
八木がセレクションとコーディネートに関わったメキシコ音楽のCDが発売中になっています。ただし、民族音楽系でもバラードでもなく、「テクノ系」です。タイトルも「Tequila」。
メキシコのクンビアとテクノをミクスチュアしたような音楽をやっている若いバンドを中心にフィーチュアしていますが、隠し味にナワトル語で歌うシルビア・アバロスなども入っています。ダンス系の音楽がお好きな方、現代メキシコのポップカルチャーに興味のある方には面白い一枚かと。
データが消えた。......のだそうで。
コンパクトフラッシュ8Gをカードリーダーに差し込んだ瞬間、なぜかパソコンがフリーズ。それをやむなく再起動したら、コンパクトフラッシュが空になっていたのだそうで。
ま、最近メモリーカード系、とっても安くなりましたよね。
こないだなんて、4GのUSBメモリが1580円だったので、ワタクシ、衝動買いしちゃいましたよ。4Gだぜ?? コンパクトフラッシュも、つい少し前まで2Gで数万円してたのにねえ、8Gかよ。
........とか言ってる場合でもないので、にわかデータ復旧屋さんになる。
もちろん、最悪の場合は、プロに頼むしかないのだけど、それだと数万円の費用はかかってしまうので、とりあえず。
で、ネットで検索して見つけたのが、まず、わりと有名なWindows用のData Recovery。
しょうがないので、Win機を立ち上げて、このソフトをダウンロード。
起動してスキャンをかけると、いっぱい名前が文字化けしたファイルが出てきました。
ところが、途中(スキャン40%ぐらいのとこ)で止まってしまって、動かない。
ので、諦めて、別のソフトを試してみることにします。
で、出てきたのが、このPhotorec。
オープンソースのフリーソフト。
(Mac用もあるなら、なんではじめからこれを使わなかったのか、というと、「ファイル」「復元」でググっても、すぐに出てこなかったんだよ。)
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070720_photorec/
使い方は、上のサイトに詳しいですが、Macの場合は、ダウンロードしたファイルをダブルクリックで解凍して、darwinフォルダの中の、「photorec」をクリックして起動。
起動するとターミナルモードが出てくるので一瞬驚きますが、べつにこれからプログラムをビルドしなくちゃいけないとかいうわけではなく、そのまま、英語の質問に答えていけばいいだけ。
いやこれがもう。笑っちゃうぐらいすみやか、かつ、きれいに復元してくれました。新品に近いディスクだったこともあって、100%の復元率です。
復元ファイルは名前が変わっていましたが、これもすぐれもの一括名称変更ソフトのShupapanで一瞬にして、正しい連番に。
はじめからこれ使ってれば、短時間の処理ですんでいました。てか、これがあればもう、「うっかり消しちゃった」ミスは怖くないです。
(とはいえ、80Gのハードディスクとかだと、スキャン・復元に丸一日ぐらいはかかりそうなのと、大量に復元されうるその中から特定のファイルを見つけるのは、けっこう面倒くさい作業になると思うので、安易に消さないのが一番ですが)
とりあえず、今回みたいな、メモリがハード的に壊れているわけではないようなのに、中身が空になっちゃってるような事態には、非常に便利です。
今年一番の、おすすめソフトです。
そうそう忘れていました。
グルジアの男声合唱....ブルガリアの女声合唱と並んで、民族音楽の世界では双璧ですよね。たしか、ユネスコの「人類の口承及び無形遺産の傑作」にも入っています。おそらく「世界無形文化遺産」にも入るでしょう。
どういう音楽かは、下のサイトで試聴できます。
http://www.culta.com/asia/asia/georgia.html
あと、大相撲の世界にもグルジアの選手がいましたっけ。
http://mainichi.jp/enta/sports/news/20080823k0000m050032000c.html
.....と思っていたら、ちょっと興味深い Blog を見つけました。
http://sanggar-pamungkas.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/post_571b.html
グルジアねたです。
といっても、私はグルジアのことはほとんど何も知りません。
Georgiaという文字を見て、ジョージョア州がロシアと戦争してどうするんだべと一瞬思ったぐらいです。
なので、少しでもグルジアに親しもうと....。
グルジア在住の方のbbs
http://8534.teacup.com/yabuka/bbs
グルジアが長寿の国....かどうかは、今回の件で微妙な感じですが、ランチビュッフェはお得感があります
http://r.gnavi.co.jp/p829000/
彼らのおかげで、グルジア語で「こんにちは」という言葉を覚えました。
http://www.gamarjobat.com/
さて、私は昔のことだけど、ちょっとだけ「医者になりたい」と思ったことがある。
(中学校の友達なら知っている話だ)
結論から言うと、だから進学校といわれる高校に入ったのだけど、この高校の理数系のレベルがあまりにも高かったために、あっさり挫折して、文系に進んだ。
ちなみに、この高校は文系にも数III(一部だけど)までやらせた。普通の高校ではありえない話だとあとで知った。後に京都大数学科に進んだ友人によると、大学に入ってからがめちゃくちゃラクだったそうだ。どうやら、高校の選択を誤っていたようだと思ったが、そうでもなかったらしい。
普通の高校でそこそこの数学の成績を取っていて、もし医学部に進んでいたら、(まあ、普通の高校でそこそこの数学の成績で医学部に行けるもんかい?....という議論はおいといて)、たぶん私は患者を何回も死なせていると思う。
そもそも、人間の体質なんて千差万別。酒飲んだって、酔う人と酔わない人がいる。その酔いの程度も千差万別といっていい。酷似した症状で同じ薬を飲んでも、効く人と効かない人がいるのだ。特異体質の人だって、個別に見れば、さほどめずらしくはない。
私の弟は幼児の頃、体が極端に弱く、20歳まで生きるのは無理と言われたが、いま、その倍生きて、しかも激務のシステムエンジニアをなんか喜々としてやっているし、逆に私の父は病院好きで健康診断を欠かさず、何の問題もないと言われて喜んでいた矢先に心筋梗塞で突然死した。
私の大学時代の親友も、私よりはるかに健康に気を使う真面目なスポーツウーマンだったが、30そこそこで脳梗塞で急死した。(私はその話を聞いたとき、てっきり新手のネタだと思って、しばらく信じなかったぐらいだ)
一方、私自身、数年前、悪性の疑いが極めて濃い卵巣膿腫が「発覚」し、医者から「最悪の場合の覚悟」まで告げられて、ホスピスのパンフまで取り寄せたことがあったが(それほど高くなくて、メシの旨いところがあるらしい.....笑)、開けてみたら良性で、いまは健康。それどころか、執刀医の腕が良かったので、傷跡もほとんどわからない。
医療というのは、そういう側面がある。
1たす1が、かならず2になる世界ではないのだ。
不幸なのは、医者であれば、ちょっとした判断が命に直結してしまうことがあるということだ。
だからこそ、あのときああしていれば患者は助かった「かも」といわれても、それはただの推測以上のなにものでもないし、あのときああしていれば、患者は助かった「はず」といわれても、それはSF小説以外のなにものでもない。
警察はそんなこともわからないのか、と思うような裁判だったのが、今回の医療過失裁判だった。
その挙げ句に、そもそもちょっとぐらいの交通費をケチって、大病院に転院を断った遺族が、あとで納得がいかないだの、話が専門的でわからないだの、「医者も誰も悪くなかったのなら、なぜ、娘は死んだのか?」と文句をつけるというのは、もう、「逆恨み」や「駄々」といっていいレベルなのではあるまいか。
もちろん、遺族には、そう感じる自由はある。誰になんと言われても納得できないといって、医者を逆恨みすることだってあるかもしれない。しかし、自由とは責任をともなうものだということも知るべきだ。
医者に土下座を要求するのは「筋違い」であると思うし、そもそも、裁判は「それが過失か過失でないか」を専門的に判断するためのものであって、遺族の個人的な報復勘定を満足させるためのものではない。そういう「自由」をはき違えた、モンスター・ペイシェントの逆恨みの言い分を大上段に報道するマスコミは、本気で日本の医療を潰すつもりでやっているのだろうか。
そのつもりはないけれど、とりあえず、「センセーショナルな記事のほうが目を引くから」「お涙頂戴のほうが読者に受けるから」「悪者がいるほうが構図がわかりやすいから」という理由で書いているなら、それだけでも読者をバカにしている態度だが、それ以上に無責任に過ぎる。
目先のアクセス数ほしさに海外向けに問題のある記事を垂れ流してきた毎日新聞もそうだが、そこまで目先のことしか見えないのか? あんたら、正気か? としか言いようがない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080820-OYT1T00370.htm http://ja.wikipedia.org/wiki/福島県立大野病院産科医逮捕事件翌朝5時半。
ものすごい音で目が覚めました。
.....コーランの詠唱であります。
もう町中に轟きわたっています。
イスラム圏に来たのだなあ。ああ、旅してるなあ、と思ってしまいます。
ホテルで簡単な朝食をとって、外へ。
ここのホテルも、朝食付ではありますが、ほんとに簡単なコンチネンタルのセルフサービス。食パン、ジャム・バター、シリアル、コーヒー、牛乳、りんご。
米国の空港近くのモーテルみたい。
カンボジアのホテルの朝ご飯の、「トロピカルフルーツ盛り合わせまたは絞りたて生ジュース、地鶏ダシの具沢山のスープ、お好みの卵料理、パンケーキまたはバゲット、コーヒー....などという豪華さを思うと胸が痛みますが、まあ、しょうがないですね。というか、これがエコノミーゲストハウスとしては、普通でしょう。
さて、じつは、マラッカに行くにあたって、ホテルを検索していて、「評判のいい」以下のホテルを発見しました。
http://www.aldyhotel.com.my/introduction.html
しかし、このサイトの写真を見る限り、この真紅の壁は.......まるで、というか、まんま「ラ○ホ」みたいではないでしょうか。
なので、私はこのホテルを避けてしまったのですが、マラッカに行って納得しました。町中心部の建物はみんな真紅だったです。オランダ行政府も赤、キリスト教会も赤。
この問題のホテルも、ここではぜんぜん派手ではなかったのでした。
そして、笑ってしまうのが、トゥクトゥクです。
あまりにも華やかに飾りすぎて、まるでパチンコ屋の新装開店の花輪状態のトゥクトゥクは、夜になると電飾まで全面に点灯し、はっきりいってこぐれみわぞうさんより派手です。これに負けないのは、ハバナのトロピカーナのダンサーか美輪明宏さんぐらいではないでしょうか。
このマラッカ。
もともとはマレー人(イスラム系)の国で、ここが交通の要所であったことから、ポルトガルに征服され、カトリックが布教されます。このポルトガル系マラッカ人(カトリック)もいまに残って、その文化を伝えていますが、さらにその後、ここはオランダ(プロテスタント)の手に落ちて、オランダ文化が入り込みます。さらにイギリスに征服され、独立まではイギリス領となります。そこに中国人(道教)、インド人(ヒンズー教)が入ってきます。華僑はマレー人と混血してニョニャ文化という新しい文化を生み出しました。
要するに、この小さな町の、さらに中心部の1km平米内に、6つの文化・5つの宗教が同居しているというわけ。
そして、町の中心のオランダ広場に面して、スタダイス(オランダ行政庁、いまは博物館)、キリスト教会(オランダのプロテスタント)、旧イギリス将校クラブ(独立記念館)、ア・ファモーサ砦(ポルトガル人の作った要塞)、聖パウロ教会(フランシスコ・ザビエルの遺体が安置されていた)と聖フランシスコ・ザビエル教会(カトリック)。ヒンズー寺院、道教寺院、モスク....。と、それぞれは小規模ながら、けっこうてんこもりなのですね。
フランシスコ・ザビエルは、16世紀のバスク系スペイン貴族の息子。イエズス会士として東洋への布教に向かいます。彼自身はスペイン人(当時はナバラ王国)ですが、当時のイエズス会が、ポルトガル王の依頼を受けて、ポルトガル領インド(ゴア)とマラッカに向かったので、ポルトガル文化圏の中にはいるわけです。
このマラッカで漂着日本人に会ったザビエルは、彼の案内で日本に行き布教することを決意するのですから、日本とはゆかりのある地ということです。
ちなみに、マラッカはユネスコの世界文化遺産にも登録されていますが、まだ観光施設が整っていないせいか、バックパックの外国人観光客がやたらにうろうろしているというほどでもありません。
(クアラルンプール空港からの直行バスもないんだものな)
ここの観光客の大半は、自国民と近隣諸国。たぶんインドネシア。
なので、「フランス人がやっていて、オーガニックの石けんとか売っているような、ちょっと高いけど洗練された土産物屋」とか「ドイツ人のやっているおしゃれなカフェ」みたいなのは少ないのですが、ベタな土産物屋(修学旅行生向け土産物屋みたいなの)はいっぱいあります。
というか、中華街は、そういう土産物屋にかなり侵食されていて、京都清水道もしくは那覇国際通り状態です。(もっとも、観光客はぞろぞろいるわけではありません)
ムスリムのスカーフ(ヘジャブ)で髪を覆った女性たちの団体がデジカメでぱちゃぱしゃ写真を撮っている風景を見られるのは、ここマラッカならではでありましょう。
そして、翌日。
ジェットスター航空機でシンガポールに。
シンガポール・チャンギ国際空港からMRT(地下鉄)に乗ってラベンダー駅へ。
ここは、ほんとになんにもない地区なんですが、この駅から徒歩10分ぐらいのところにマラッカ行きのバスターミナルがあるはずです。
そうなんです。日本に戻る前に、物価が高いシンガポールを避けて、二日ほどマラッカにも遊びに行こうと、まあ、そういうことを思いついちゃったのですね。
シェムリアップから直接アジアエアーでマレーシアのクアラルンプールに出ることも考えたのですが、どうやら、マラッカに行くには、クアラルンプール経由よりシンガポール経由の方が便利らしいので、このルートに決めたわけで。
さて、マラッカ行きのバス停は、地下鉄ラベンダー駅から徒歩数分です。バスターミナルと言わずにバス停と言ってしまいましたが、ほんとに、いちおう外国まで行く長距離バスターミナルというには貧相な、はっきりいうと駐車場にしか見えないターミナルなのでありました。
ちょうどバスが出たところで、次のバスは2時。
ということで、売り場のおばちゃんに荷物を預かってもらって(荷物預かり所や売店さえないのだ)、ちょっと外をぶらつくも、ほんとになんにもないですね、このへんは。激安ビジネスホテルとかコンビニぐらい。
お弁当がわりに包子と水のペットボトルを買って、バス停に。バスはちょっとぼろいですが、いちおう、リクライニングシートで冷房が効いています。メキシコの長距離二等バスみたいな感じ。
ここから一路、マラッカに向かいます。一路といっても外国なので、途中で入管を通りシンガポール出国とマレーシア入国をするのですが、これが隣り合った二つの国なのに、明らかに中国系が多数を占める国であるシンガポールの入管とマレー人の国であるマレーシア、係員の雰囲気が全然違うのが印象的です。
熱帯の道路を4時間ほどで、マラッカへ。Melaka Sentralというマラッカのバスターミナルです。
こっちは、売店もショッピングセンターもレストランも両替屋もお祈り場もある巨大なターミナル。
ここから市街地まではタクシーかバスですね。
とりあえずローカルバスターミナルに出たのですが、なんか混んでるし、バスもかなりぼろいのでタクシーにしようかと、バスの案内をしていたおっさんに「タクシー乗り場は何処ですか」と訊いたところ「とんでもない。タクシーは高い。法外だ。ぜったいバスにしなさい。バスにするべきだ」と思いきし説教され、あれに乗りなさいと指図されます。
そうですね。ついつい贅沢癖がついていましたね。
こういう場合、ワタシは、こういうオッサンには従うことにしているので、おとなしく指定のバスに乗り、車掌のオッサンに言われたとおり、1リンギットを払います。3リンギットが1ドルです。確かに安いです。
思ったほど回り道もなく、15分ほどで市街地へ。バスの乗客は、ムスリームスタイルのマレー系、中国系、全身白づくめでターバンのインド系。
そろそろ日暮れになっていく時間帯に、町の中心のオランダ広場から、地図を見ます。泊まるゲストハウスは中華街の入口付近の筈です。
が、中華街に入ってみると、日曜のせいか、なぜか屋台がいっぱい出てお祭り状態ではありませんか。
あのー、これじゃホテルがわかんないんですけど。
番地付近の屋台のオッサンに、「このへんにホテルがある筈なんですけど」と訊くと
「あー、インターネットで予約した人だね」
と、慣れた感じで、ちょうど後ろの家の呼び鈴を押してくれました。
(ちなみに、このおじさんはここに店を出していただけで、ホテル関係者ではなかった)
ここは、マラッカ中華街の伝統的家屋を改装して作られた家族経営のゲストハウスです。オープンな玄関はなく、ほとんどインターネットだけで集客しているみたい。
一階は入口で靴箱に靴を預け、階段を上がって2階がフロント兼ロビー&リビング&カフェテリア。3階が客室です。塵ひとつなく掃き清められている建物は、古い柱や床材などが黒光りしていて、私の好きな感じ。
お部屋もシンプルだけど広々としています。
荷物を置いて、とりあえずなにか食べに外に。
それにしても、マラッカには不思議な雰囲気が漂います。
というのも、建物が赤っぽく、さらに照明も赤っぽいのです。なんともすごいあやしい雰囲気。
晩ご飯は、マレー風チャーハンというのを食べたのだけど、これが、また妙でした。チャーハンに魚が入っています。それも、干し魚を細かく裂いたのとか、煮干しとか、かまぼこみたいなのとか。味付けはちょい辛。
それはそれでおいしかったのだけど.....でも妙でした。
ホテルの周りの屋台を少し散策。マレーシアの歌謡曲みたいなのもかかっています。屋台の明かりも赤っぽく、やっぱり妙。
この「なんか妙」さは、翌日への期待を掻き立てます。
ところで、カンボジアの料理(クメール料理と呼ばれている)は、ほんとに美味しいのですが、それにしても、そのあたりに牛やニワトリが目立ちます。
いや、ほんとに、そのへんに牛やニワトリがいるんです。遺跡の敷地内とか、道端とか。田んぼを耕しているのも、もちろん牛です。
ホテルを出たところでも、こんな感じ(右の写真参照)で、牛がのんきに草を食べています。これ、野良牛じゃないよなあ。いつもいたんですけど。
ニワトリさんも、そこらにたくさんいらっしゃいます。
しかしカンボジアのニワトリさんは、私たちが知っているニワトリと違います。バイクや車を見事によけて、ダチョウのようにもの凄いスピードで走るのです。
その敏捷さに、最初はなにかと思いましたが、実際、こいつらは足が長い!
ほんとに、彼らは料理にされたり卵を産んだりするニワトリと同じニワトリなんでしょうか。
これはしばらくの間ワタシの真剣な疑問だったのですが、しかし市場に行きますと、鶏肉コーナーには、足の異様に長い鶏さんたちが毛を毟られてぶらさがっていらっしゃいましたから、やはり、あのトリたちは、チキンカレーや焼き鳥にされているチキンなのでしょう。
朝ご飯のトリのスープがえらく美味しいのは、彼らの運動量のせいなのでしょうか?
(ここで是非、写真をクリックして、トリさんたちのすらりとした足の長さに注目してみましょう)
さて、5日目はシェムリアップの町の南にあるトンレサップ湖に行ってきました。
「地球の歩き方」とか見ると、湖の畔までタクシーかトゥクトゥクで行って、そこから遊覧船が15ドルとか。
とはいえ、ホテルは町から遺跡寄りに3kmの地点とあって、ホテルから湖まではけっこう距離があります。そこまでの往復だけでも8〜10ドルはかかりそうなので、どうしようかなと思っていたのですが、ホテルからの送迎と食事もぜんぶ付いて20ドルというツアーがあったので、申し込みました。
11時に迎えに来たのは、旅行代理店をやっているというタイのお姉ちゃん3人組。
「お名前は? まあ、すごい難しい名前ね」
「そうかしら?」
すると、お姉ちゃんたち、にっこり笑って、「私ミー」「私ソム」「私チャー」「みんな簡単ネッ!」
(^_^;)
それってあだ名じゃないのかい?
(このへんうろ覚えなので、間違っている可能性あり、まあこういう短い名前だったということで)
まあ、こういうノリのキャンディーズというかブーフーウー(古い!)というか....の3人組と湖に向かいます。
クーラーの効いたセダンには、3人組プラス私だけ。
「今日はね、他に申し込みがなかったからね、お客さんはアナタだけなの。だから私たちも半分ホリデー」
シェムリアップを通り過ぎ、南へ。高床式の家々を通り越してしばらく行くと、ボートがずらりと並んだあたりに来ます。このあたりが遊覧船乗り場らしい。
ここで、この代理店の契約している船に乗りますが、30人乗りの遊覧船貸し切り状態というゆったりさです。
湖はかなり大きな湖で、はっきりいって海みたい。
ただし、水は濁っていて黄色です。見た目はきれいとはいえません。汚染というより、もともと泥水系で黄色いようです。
で、そこに小さい船を浮かべていっぱい人が住んで、村になっているのです。船の学校とか教会もあります。パナマのカリブ海にも、そういうインディヘナの村がありましたが、それのアジア版です。
もっとも、パナマの水上村は、海がエメラルドグリーンで熱帯魚と真っ白なペリカンがいっぱいいましたが、こっちは湖が泥水でナマズとワニがいるの。(笑)
ただ、魚は300種類もいるそうです。
小学校高学年ぐらいの子供でも上手にボートをこいでいて、幼稚園ぐらいの子供は岸辺でタライに乗って練習しています。これがえらくかわいい。
食事もどうせ観光レストランだろうと、全然期待してなかったのですが、これも意外においしくて、当たり。えらく得した感じ。
スタッフの人たちがすいかやザボンなどいろいろな果物やお菓子を持ち込んでいて(つまり彼らもホリデーなのね)、それを分けてくれたりするので、完全にピクニックです。
帰りは、ホテルまで帰らずに、町中で下ろしてもらい、少し土産物を買い物して戻りました。
ちょくちょくこちらで出るレモングラスのハーブティーがすごくおいしいので、レモングラスや胡椒など。
翌日は朝早く飛行機に乗ってシンガポールからマレーシアに向かいます。
またまたちょっと間が空きましたが、カンボジア旅行日記、3日目。
この日も早起きで、ビッグ・サーキットと呼ばれるラインを回ります。アンコールワットとアンコールトムの周辺遺跡群です。
まあ、名前を羅列すると、プリア・カン〜ニャック・ポアン〜タ・ソム〜東メボン〜プラサット・クラバン〜バンテアイ・クデイ〜タ・ブローム〜タ・ケウ〜トマノン
古代カンボジアでは、代々の王が自分のために寺院を造ったので、たくさんの石の寺院があるのです。その代々の王も、順当な長子相続による王位継承というのがほとんどなく、前王亡き後ほぼ毎回のように王位争奪戦があって、その戦いに勝った者が、前王の后や娘を娶って、形式上縁があるように繕い、王位を継いだということであるらしい。
なので、なおさら、前の王の造った寺院をそのまま自分が使うというわけにもいかなかったのでしょう。
いずれにしても、これだけ回るとなると、さすがに距離があるので、今日は、トゥクトゥク(うしろに二人乗りの座席のついたバイク)をチャーターしました。
乗ってみると、ドライバーの運転がうまかったのかもしれないけど、思うほど揺れないし、風が涼しくて楽ちんです。
それにしても、なんとなく、「周辺遺跡群」という名称から小規模なものを連想しますが、どっこい最初に訪れたプリア・カンからして、なかなかあなどれない規模です。
これら、「周辺遺跡群」に、車(含む観光バス)やトゥクトゥクで行く場合、西側に車を停めて客を降ろし、見物してくるのを待って東側で拾う(東西南北は遺跡の位置で適宜変更)というような観光の仕方が多いのですが、ここで問題。
昨日のアンコールワットでも感じたのですが、アンコール遺跡群の寺院の特徴の一つは、中央に塔を配して、左右対称どころか東西南北対象であることです。
もちろん、ただまっすぐ歩くだけならバカでも迷いませんが、曲者は彫刻群です。何重にも作られた回廊の外側に実に美しいアバター(神の化身たち)の彫刻がある。これをちょっと見ようと回廊の外に出たりします。あれも綺麗これも綺麗、と色々見てしまいます。

......そして、迷います。
いま自分が東方向に歩いているのか南方向に歩いているのか、わからなくなって、従って、出口に出たはずなのに、自分のトゥクトゥクが停まっていないという......。それって私だけ?
しかも、なまじっか敷地が広いので、別の出口を目指すだけでもけっこうな距離を歩くのでありました。
最初のプリア・カンで、すでに「アンコール版マーフィーの法則:出口の方向を間違える可能性が少しでもある場合、必ず間違える」を2度にわたって実践して(3度じゃなくて良かった)、けっこうアセった八木、ここで、バッグに方位磁石が入っていたことを思い出し(さっさと思い出せよ)、次の寺院からは無駄に体力を消耗することから逃れることに成功します。
これらの寺院は王様の信仰によって、ヒンズー教に近いのから、仏教に近いのまであるけど、全体としては、やっぱり仏教の雰囲気が強いように思います。
江戸時代の日本人が、祇園精舎と間違えるだけあって、ほんとうに荘厳な感じがあります。どこでも、中でお線香をたいてお祈りしている年寄りがいます。
そして、方向音痴な人間には危険なアンコール寺院の造りも、明らかに故意にそう創られたのでしょう。幾重にも連なる回廊が、まるでそれ自体が完成された小宇宙のような感覚を、訪れる者にもたらしてくれるのです。俗を超越する感じ、というと、少しわかっていただけるでしょうか。

二つ目の遺跡からは、さほど迷わなくなったとはいえ、それでも、バンテアイ・クデイ、タ・プロームなどはかなりの規模がありますので、いろいろ見て回るとへとへとです。タ・ケウ遺跡のようにピラミッド型の遺跡があると、やっぱりお馬鹿なワタクシとしては、登らないわけにはいきませんからね。
しつこいようですが、さすがに熱帯なので、12時すぎるとかなり強烈に暑くなってもきます。汗がだらだら出て、急速に体力が落ちてきます。
いずれにしても、7時すぎから7時間かけてビッグサーキットを回って、2時。
遅めの昼ご飯をとることにしました。
「このへんでお勧めのレストランあるかしらね」と、トゥクトゥクのおじさんに訊くと
「もちろんあります。絶対お勧めのところ」
そこまで言うので、連れて行ってもらった店は、バイヨン遺跡の近くの屋台村の一件だったのですが、個人的に言うと、カンボジアで食べた中では一番のハズレでした。運ちゃんは客連れて行くとマージンもらっているのですね、きっと。まあ、こういうこともあります。
ホテルに戻って、シャワーを浴びて、一休み。
9ドルなりのマッサージを頼んで(ひゃ〜、贅沢癖ついちゃったよ)、レモングラスのハーブティーを飲みながら、講談社現代新書「アンコールワット〜大伽藍と文明の謎」(石澤良昭著)を読む。
晩ご飯は口直しに、魚と茄子のココナッツシチュー。昨日のアモック(雷魚のココナッツミルクソース・バナナの葉包み蒸し)と似たような味かと思うと、また違う複雑な味わいで美味しいです。
ただ、見た目も食べてるときもさっぱりして軽そうだったので、私にはちょうどいいけど、男性だったらもの足りないかなあ、とか思っていたのですが、食べ終わってしばらくしたら、なんかお腹がすごく張ってきて、ぱんぱん。ココナッツのせいなのでしょうかねえ。
さて、外務官僚事件も終わったようなので、カンボジア旅行日記に戻りましょう。
だいぶ間が空きましたが、遺跡探訪2日目。
この日は、早起きして、自転車でアンコールワットとアンコールトムへ、
もともとホテルはシェムリアップの街の外。街から3kmほど離れているかわりに、遺跡にも3kmぶん近いというわけで。
とはいえ、最初はバイクタクシーかトゥクトゥク(後ろに荷車状の二人乗りの座席をつけたバイクタクシー)を雇うつもりだったのが、前日のオーストラリアとカナダのおねえさんたちから、
「私たち、レンタサイクルで行ったわよ。その方が遺跡の中走り回るのに便利だし」
とか言われてその気になっちゃったんだよ。

今日は腕にもちゃんと日焼け止めを塗り(笑)、自転車をちゃっちゃと漕いで、まず、バイヨンへ。
アンコールトムといわれているのは、バイヨン、象のテラス、ライ王のテラス、王宮などのいくつかの遺跡の総称なのです。
昨日の遺跡群もそうだったのですが、これらの寺院は、現在も信仰の場であり、オレンジ色の袈裟を着たお坊さんたちがおいでになったりしますが、そのお坊さんたちの主な交通手段も自転車のようです。
バイヨンの入口で「象に乗って観光11ドル」とかいう看板をちょっと横目に、バイヨン寺院へ。
いや。これが。観音菩薩が。
2mほどもある人面像がいったいいくつあるのでしょうか。
数十の塔に刻まれたたぶん百以上の観音菩薩の顔が、コバルトブルーの空を切り取っていたのです。
バイヨンから象のテラス、ライ王のテラスの瀟洒な彫刻をめぐって鑑賞し、それからアンコールワットに。

アンコールワットはそれ自体の中で迷子になりそうな巨大な建築物です。というか、迷子になりました。(爆)。しかも、でかいから一辺の距離があるし、気候は暑いから、迷子になるともう大変です。(大爆)
しかし、たくさん歩くと無駄に体力を使うというだけでもなくて、歩けば歩いただけの小さな発見があるのが、古代遺跡のよいところです。疲れたら、そのへんに腰掛けて休めばよいのだし。
どうせ一人旅ですから、自分が迷子になって、誰かに迷惑をかけるということもありません。
回廊の端に腰掛けて、内部壁面の彫刻を眺めていると、物語が霞のように立ち上ってくるような感じが致します。遺跡は死んではいないのです。
遅い昼にアンコールワットを出て、敷地内の屋台村みたいなところの屋台でカンボジア風野菜焼き飯を食べます。なぜかキャベツの千切りが入っていたりするんだけど、おいしいんだなあ。そうか、焼き飯にキャベツの千切りか。味付けはナンプラーとハーブね。
ところでいつも思うんですが、正しい炒飯ってのは飯粒がパラッとしている、ということになっていますが、あれって、単に炒飯系料理発祥の地である中国や東南アジアの米が長粒種で、はじめからパラッとしているからこういう料理が発達しただけじゃないのですかね。
その証拠に、短粒種中心の日本で発達したのは、炊き込みご飯とか寿司といった、粘りのある米ならではの料理です。
炒飯というのは、長粒種の米で作ることをそもそもの前提とした料理なのだから、日本のねばねばした単粒種の米を「いろんな裏技で」パラッと仕上げるというのは、一時の米不足の時に、タイ米をむりやり日本風ご飯としてに食べようとして不味いと抜かしたり、その挙げ句に、「少しでも日本米の風味に近づけるための」わけのわからない「裏技」をいろいろTVでやっていたのと同じぐらい、米の本来の性格と美味しさを無視した、たいへん不自然な食べ方である感じもいたします。てか、いろいろ苦労するぐらいなら、長粒種の米で作っちゃえば、あっさり問題解決するわけで。
もちろん、「いや短粒種の米を、天才的な技でパラッと仕上げた炒飯こそが旨いんだ」って方もいらっしゃるでしょうが。
まあ、それはおいておきまして。
遅いお昼を食べて、またチャリンコ漕いで宿に戻って、汗ぴっしょりの体を水シャワーで冷ましておりますと、ちょうどスコールです。
少しお昼寝して、プールに浸かり(ひゃ〜、贅沢癖ついちゃったよ)、揺り椅子に座って読書。アンリ・ムオーのカンボジア旅行記。
この人は、19世紀のフランスの博物学者で「アンコールワットを発見した人」として知られており、またそれゆえに「べつに彼がアンコールワットを発見したわけではない」(アンコールワットは彼が「発見」する前から存在した。地元の人はとっくに知っていた等)の批判も浴びている人。
しかし原典(といっても邦訳だけど)を読む限りでは、ムオーは自分がアンコールワットを発見したとは一言も書いてはいない。どころか、はっきり「地元の人の話」や「先着のカトリックの司祭の話」を聞いて興味を持って出かけた、というニュアンスである。そして、その規模が創造していたより大きかったことで、「こりゃギリシアやローマの古代建築に匹敵するか、それ以上。これは凄い」と感じる。
そして、彼は発見自慢どころか、その旅の終わりに熱病に罹って死んでしまっているのである。つまり日記は途切れているのだ。
いや、なんでも噂じゃなくて、原典に当たらないと駄目ですね。
彼はアンコールワットを発見したのではなくて、当時まだ密林に半ば埋もれていたアンコールワットが「ギリシアやローマの古代建築に匹敵するか、それ以上」という評価を最初に欧米人に向けて発信した人だったというわけです。
もちろん、このムオーの日記は、全体としてみると、19世紀欧米人特有のアジア人蔑視感が色濃くある(ので、そこのところは、タイやカンボジアの人が読めば十分不愉快になるでしょうが)とはいえ、当時の「冒険家」の旅が偲ばれて、それはそれで読み応えがあります。ただし、肝心のアンコールワットの記述は全体のなかのわずかで、大半はタイ紀行(というより、タイの王族や役人への愚痴とぼやき)になっています。
で、本日の晩ご飯はクメール料理。
昨日、ホテルのお兄ちゃんがおすすめの「牛肉とピーナツの炒め物」がえらいおいしかったので、今日もホテルのレストランで食べることにする。
凝った料理は早めにオーダーしておいてくださいね、ということだったので、夕方から希望を伝えておいた、カンボジアの代表料理アモック。雷魚のココナッツミルク蒸し煮。
バナナの葉で小さい舟形のお皿を作って、そこに魚の切り身とスパイス・ハーブ・ココナッツミルクを流して蒸し煮にしてあります。いやーこれおいしいわ。白身の魚とココナッツミルクの甘みとスパイスがもう絶妙です。
今年食べた旨い料理のベスト5に確実に入るでしょう。「いままで外国で食べた旨い料理ベスト10」にも入るかも。
日本で作るとしたら、バナナの葉のかわりにクッキングシートを切って舟形を作るか、あ、マフィン用の紙カップでもいいかも(雰囲気は出ないけど)とか、すぐ考えてしまうワタクシなのでした。
結局のところ、例の外務官僚ホテル代踏み倒し事件、あっというまにマスコミの話題から消えてしまいました。
まあ、ここまでネットで内情暴露されたら、報道のしようがないですよね。
つまり、片岡郁美さんはいまのネット社会の現状を把握していなかったのでしょう。わかっていたら、どんなに口惜しくても、ああいうことをやったはずがない。やるとしても、ホテルが特定できるような情報はもっと巧妙に隠すでしょう。
私は関係者ではありませんが、ホテルがあれだけ映って、なおかつシングルルームとセミスイートの定価が出たところで、その情報で検索して、すぐにホテル名に辿り着きました。
なぜ検索したのかは、一昨日の日記に書いたように「まともなホテルが、料金の話もきちんとせずに、数年来の知人である客にセミスイートをすすめた挙げ句、300日もの間、支払のない客を泊め続けるわけがない」からです。
まともでないホテルであるなら、自分や知人が変なことに引っかからないように、自衛のために知っておくことがあります。
たとえば、知らずにシングル予約して、
「セミスイートにグレードアップしておきました」と案内されたら、ふつうはシングル料金で、ワンランク上の部屋に泊めていただけるサービスですが、(飛行機などでもそうですが、団体客が入ったりすると、たまにそういうことはありますよね)、こういうホテルだと、平気でそのあとで、セミスイート料金請求されかねないですもん。で、抗議したら、奥から893な人が出てくるとか。おおいやだ。
で、やってみると。
あれ、このホテル名、なんかとっても聞き覚えがある.....とさらにホテル名でググると、あっさり片岡さんの名前が出たわけです。
これで所用10分ほどですから、おそろしい時代といえばおそろしい時代です。
この騒動でトクをしたのは、結局、一番したたかなデヴィ夫人でしたね。
昨日の、外務官僚ホテル代踏み倒し事件の件。
ある方から、このブログを教えていただいたのですが......いや、これは凄いです。凄すぎです。やるなあ、デヴィ夫人
http://ameblo.jp/dewisukarno/entry-10122972981.html
(個人的な感想だけど、うまくいかなかったとはいえ、一時は本気でペルーのエヴィータになろうとしていた片岡郁美を、デヴィ夫人としては内心では大嫌いだったのではないかな)
たとえこれが事実でないとしても、ホテル社長の片岡郁美さんがどういう方かを考えれば、(外務省が日本の国益を護るための外交のための役所である以上)、まったく知らなかったならともかく、知らないわけはないのだし、そういう女性と「面識がある知人」以上の関係になって、たとえ一晩でも接待を受けたりするだけでも、外務官僚としてはアウトでしょう。
たとえ、恋は盲目といっても、そういう女性をあえて付き合いたいならば、外務省をお辞めになればよろしいわけで。
とはいえ、残念ですが、女性関係に甘いのが日本外務省の特徴で、海外で性的トラブルを起こしたり、誰が見ても「その筋」とわかる女性を連れ歩いたりする外務官僚が後を絶たないのが、日本外務省の現実で情けない限りです、とは申し上げておきましょう。
さて、巷は外務官僚ホテル代踏み倒しニュースで持ちきり。
まあ確かに、やったことは非常識なんだけど、妙に思っていたことが。
外務官僚とホテル社長は、数年前からの知人だったという。
なので、常識的に考えれば、一泊二泊ぐらいなら「お金のことなんか考えなくいいよ」というニュアンスであったとしても不思議ではない。
実際、私も、空いている私所有のアパートに、事情があって転がり込んできた友人を、事実上無償でしばらく住まわせてあげたことぐらいある。
そのお金のことを考えなくていいよ、が「(ホテル側)いますぐ精算しなくていいよ」「(外務官僚)お金は払わなくていいってことだな」という誤解があったのだろうが。しかし、セミスイートを薦めたのはホテル側であるともいう。
さて、ここで、疑問。
それにしても、ふつう一週間ぐらいで、しないか? お金の話。
払うのか、払わないのか。払うのだとしたら、どういう割引か。そういう「条件」について、である。
そうすれば、その時点で、誤解も解けたはずである。そして、明らかにホテル経営者はそれをやっていないのである。明らかに外務官僚は(何らかの理由で)払わなくていいか、大幅な割引があるものと思っていた。その誤解をホテルが感づいていないはずはない。
しかし、宿泊が300日を越えて、定価計算では到底支払えない金額になったところで、まとめて請求した。
しかも、この経営者は定価×宿泊日数を単純計算しているが、普通どんなホテルでも、割引価格ってのはあるし、インターネット価格や長期滞在なら半額以下ってのも珍しくないのに、これも非常に妙である。
だいたい、民事裁判にすらなっていないのに、このマスコミへの露出ってなに???
請求されなかった、お金の話がなかったからといってずるずる宿泊していた外務官僚も相当のアホだが、ホテル経営者がどうも胡散臭い。
少なくとも、まともなホテルではあり得ない対応である。
何かあるなと思ってちょっと調べてみた。
と、このホテル。
目黒のプリンセスガーデンホテルではないかい。
http://www.princess-garden.co.jp/index2.html
で、例のごとく、シングル一泊は定価で13500円だが、ネット予約(Yahoo Travel)で7580円。ほらね。この割引率でいえば、外務官僚の宿泊費も1500万どころか、840万ぐらいになるのだが、それじゃマスコミに対するインパクトがないと思ったんでしょうね。経営者は。
と思ったら、ああら、この方。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B2%A1%E9%83%BD%E7%BE%8E
http://blog.goo.ne.jp/asaikuniomi_graffiti/e/ee9a42f9703f270fff472723fa0e41bb
http://outlaws.air-nifty.com/news/2005/08/post_9d54.html
あの、在日韓国人であるにもかかわらず、靖国命の極右で有名な、片岡都美さんじゃありませんかぁ。そうです、あのアルベルト・フジモリの奥さんではありませんか。
彼女、過去には5億数千万円の脱税で、2億円余りを追徴課税されていたことが明らかになっているような人であって、外務官僚のタカリをとやかく言えるような清廉な方じゃない.....というか、あらゆる面でブラックきわまりない方だと思うんですけど。
てことは、ま、馬鹿な外務官僚は、ハメられたってことですね。
ペルーで収監中のフジモリさんの件で、外務省にいろいろ圧力を掛けようっていうことでしょうか。
新聞に出たのが応えたようで、江戸川フィルからの誹謗中傷と嫌がらせが始まっております。
20日に、団員が集まった前で副団長のO氏が、新聞記事について話があるといって前に出てきて、「この記事は、根も葉もない事で、毎日新聞を名誉毀損で訴える」と言ったそうです。(その場に団長同席)
まあ、毎日新聞には根も葉もない記事を載せてた前科があるのは事実ですけど(爆)、もちろん、この記事のどこが名誉毀損かは説明なし。そもそも日本語版の記事ですしぃ。是非、訴えていただきたいものです。(笑)
で、この時期に記事を出すということは「江戸フィルに対する妨害以外何者でもない」とか、髙橋尚子は創価学会員で大きな力を利用して我々をいじめている.....とか、さらに、「怖そうな女性(明らかに、ワタクシのことらしい)がいつもついていて、その女性のいいなりになっていて、その女性も学会員である.... のだそうです。
...悪いが爆笑してしまいました。
ワタクシ、いままで、共産主義者(by 右翼の人に)とかトロツキスト(by 共産党の人に)とか言われたことはありますし、北朝鮮のスパイと間違われて拘留されたこともありましたが(韓国で)、学会員と間違われるのは初めてだなあ。
しかし、それはいくらなんでも、創価学会の人に失礼でしょう。
ちなみに、髙橋さんとこも浄土宗のお寺のご縁者で檀家代表なのにね。
だいたい、江戸フィルにも学会員の団員ぐらいいるかもしれないのに、創価学会にまで喧嘩売ってどうするんだろう?
さて、そうこうしていると、明日は私のライブです。
その前に、午前中は10時半から東京地裁でチェンバロ裁判の最終弁論の傍聴です。(大爆)
濃ゆい一日になりそうです。
さて、遺跡見学初日。
まず、アンコールワット(またはバイヨン)からはじめよう、という、ふつうのコースを行くはずだったのですが、昨日、ホテルのおばちゃんの紹介で、オーストラリア人とカナダ人との、女3人でタクシーを一日借り切って、ちょっと遠くのマニアックな遺跡を見に行くことになりました。
一人だと高くて手が出ないけど、3人で割ると、丸一日、貸し切りで一人25ドルだったんである。
朝、5時出発で、アンコールワットの日の出を見物してから、まず、アキ・ラー氏の地雷博物館に。
まだカンボジアにはたくさんの地雷が埋まっているわけで、アキ・ラー氏は元兵士、いまはボランティアのディマイナー(地雷除去屋)として活動している方で、自分が除去した地雷や当時の兵器を展示する地雷博物館を開いている。
この地雷博物館から、バンテアイ・スレイ遺跡に。ここは、彫刻の精緻な美しさで知られていて、中でも、東洋のモナリザとまで呼ばれる浮き彫りがあるところ。かのアンドレ・マルローが盗掘で有罪判決を受けることになった件でも有名だとか。

それから、クバール・スピアンという川の源流の石の底に神様を掘ったところに。
タクシーだから楽ちんかと思ったら、すごい山道を歩きました。.....というか、着いてからガイドブックを見て、「遺跡は駐車場から急な山道を徒歩40分」の記載に。
(゚O゚)ヲイ チョット マッテクレヨ
ああ、それなのに、それなのに。喜々として登っていくんですわ。オーストラリア人とカナダ人は。
(ちなみに、どう見ても、二人とも私よりだいぶ年上)
そ、そういえば、マーガレット・コート夫人ってオーストラリア人だったよなあ。いや、キング夫人だったっけ。などと、古っ〜いことを考え、ヘタりつつ登山。(キング夫人はアメリカ人です)
あとでわかったのですが、オーストラリア女性はタスマニアの方で、カナダ女性も大平原系の方でありました。健脚でいらっしゃるはずで。
とはいえ、山道は影が多く、木々の香りも高く、アオスジアゲハに似た蝶々もひらひら飛んでいて、足場の悪さも、ほどほどに子供時代を思い出したりして、これはこれでハイキングだと思えば、けっこう楽しくないこともなかったのであります。
で、登りついた先の川の源流には小さな滝があって、そのあたりにいくつもの彫刻やリンガ(男性器=氏ヴァ神の象徴)が掘られているのでありました。
また30分かけて山を下りて、また車に。
さらに一時間半ぐらいドライブして、ペンメリアというまだ修復されていない遺跡へ。これはほんとに密林の中の廃墟という感じで、かなりの迫力でございましたね。
さらに、カンボジア遺跡群の中の最古の寺院といわれるプリア・コーとバコーンのピラミッド。
さすがに、このへんまで来るとあまり観光客もいないのだけど、やはり「オネーサン、エハガキ イリマセンカ ジューマイイチドル サンジューマイニドル」「オネーサン、ツメタイ ノミモノ イカガデスカ」と妙にうまい日本語を使う子供たちはいるのである。
しかも、韓国人には「アンニョンハセヨ」、中国人には「ニーハオ」と、各国語対応であるらしい。(東洋人であるワタシは順番に試されたのだ)
もちろん、オーストラリア人とカナダ人には流暢な英語で話している。
バコーンの遺跡ではちょうどスコール(熱帯性土砂降り)に遭ってしまったのだが、その間、雨宿りしていると、「オネーサン、アツイコーヒ アリマスヨ」なんである。
おまえら、語学の天才か。(続く)
ええと、じつは、7月中旬から10日ほど、東南アジアに行っていました。
といっても仕事ではなく、ひさびさの一人旅です。
とはいえ、ばりばりのバックパッカーだった昔ほどの根性はないので、いちお、相部屋じゃないホテルに宿泊。
じつは、最近めっきり乗らなくなったユナイテッド航空のマイレージ20000マイル分の有効期間が迫っていたので、20000マイルで行ける遠めのところで、なおかつこういう機会でもないと、きっと行かないであろうところに行ってみようと。
リッチだねえなんて言わないでください。人間いつ死ぬかわかんないんだし。
で、まず、ユナイテッドでシンガポールに飛び、チャンギ国際空港のターミナルホテルに一泊。
空港ホテルって普通は高いんですが、ここ、チャンギのターミナルホテルは市内のホテルよりエコノミーなの。バストイレ共用のスタンダードルームでよければ、41シンガポールドル(3247円)。
深夜に到着して、このままここに転がり込み、翌早朝にオーストラリア系激安航空会社ジェットスター・アジア航空でカンボジア・シェムリアップへ。
ジェットスターって、すでに関空には乗り入れていて、関空〜オーストラリア往復20000円なんていう冗談みたいなキャンペーン料金で話題を呼んだとこ。今はキャンペーン終わっていますが、それでも、関空〜オーストラリア往復50000円です。12月からは成田にも就航するらしい。
で、シンガポール〜シェムリアップ間も、ジェットスターで燃料サーチャージ込みで27000円。ただし、食事別料金。といっても、機内食がほしいわけではないし、たったの2時間でシェムリアップに。
この路線は、まだ「地球の歩き方」にも「Wikipedia」にも紹介されていないので、日本人客の姿も他にはみえません。
シェムリアップ空港で20ドルでカンボジアの査証を簡単に取得して、ロビーに。ホテルの迎えのお兄ちゃんが待っていてくれました。いや、べつに高級ホテルに泊まったわけじゃないんだけど、空港への送迎がついていたんだよ。
シャムリアップは、ご想像通り、現在は事実上アンコール遺跡群の観光で成り立っている街です。ゆえに、町中ホテルとレストランと土産物屋だらけ。ホテルも、一泊2000ドルの超高級リゾートホテルから、一泊数ドルの安宿まで。
八木はもう若くないので(爆)、朝食とエアコンとWiFi 付35ドルのホテルです。
もちろんこの値段だって、ふつうのカンボジア人の一ヶ月の月収ぐらいに匹敵するのですが。
ところがこのホテルが当たりでしたね。ネットで見つけて予約していたのですが、広い敷地にバンガローが建っていて、そのバンガローがお部屋。内部は竹と木をベースにした、とても趣味のいい装飾で、バスルームも広くて清潔。しかも、(あるのは知っていたが、ぜんぜん期待してなかった)プールも水が循環式で清潔で綺麗。
なにより、敷地の中で熱帯のお花が咲き乱れていて、蝶々が飛び回っているのです。なに?この贅沢さ。
そのホテルで朝ご飯を戴きました。なんせ、到着が朝8時だもんで。
この朝ご飯も当たりでしたね。どうせパンとコーヒーとシリアルぐらいだろうと思っていたら、果物盛り合わせに卵料理にスープにコーヒーにパンケーキまたはバゲットです。
特に、スープがシビれましたね。地鶏で丁重に出汁をとった、薄味だけどコクのあるスープに新鮮な野菜がたっぷり、鶏がたっぶり。
あとバゲットも素晴らしいですね。フランス人が占領したところはパンが美味しいという鉄則があるのですが、もう、完璧なバゲットです。
この時点で八木、かなり幸せになっております。1年後にはのたれ死にしているかもしれん自由業だが、こういう瞬間があるから、やってられますねぇ。
食後、ちょっと休んで(このへんが、若さがないんだよな(爆))、ホテルの貸自転車でシェムリアップの街に。
このホテル、実は、かなり町外れにあるのです。正確には、シェムリアップの街とアンコールワットの中間ぐらい。(だから、値段が安いのに、やたら敷地が広くて部屋も広い)
シェムリアップの街でお昼を食べて、プサー・チャー(オールド・マーケット)に出かけて、クロマーと呼ばれている現地の手拭いを買います。手拭いといってもショールぐらいある大きさで、手をぬぐうだけではなく、赤ん坊を包んだり、荷物を包んだりもできます。日本にある風呂敷、メキシコのレボッソのカンボジア版ですね。ま、鄕にいれば郷に従え、ということで。
ああ、しかし、覚えてきた片言のクメール語を使うチャンスもなく、市場のおばちゃんたちもガキどもも、流暢な英語や日本語を話すではないですか。あのね、年取ってから外国語を覚えるのって、大変だったのよ!
それにしてもやはり暑いです。とくに午後に入った日射しは強烈で、腕がぴりぴり。これは悪い兆候です。顔や首には日焼け止めを塗っていたけど、腕は忘れていたよ〜。
見ると、すでに青写真のようにくっきりと(古い!)、腕に時計のあとがぁ〜!
それになんせ、ま、暑いので(というか自転車で止まると特に暑いの)、ホテルに退散します。
あ〜エアコン付きの部屋で良かった。あっ、そうだ、プールもあるじゃん、と貧乏性丸出しで、プールに向かいます。いまさら遅いが、日焼け止めも塗ったりして。
あ〜極楽。プールのうえを蝶々が飛び、まわりにはアマガエルくんも泳いでいたりして。
こうしてまったりと一日目を過ごし、翌日からアンコール遺跡群の観光が始まったわけです。
さて、チェンバロ事件補足です。
ほぼ毎日新聞で報道された通りですが、字数の都合上、わかりにくい点もあったと思いますので。
当日、高橋夫人の演奏のため、製作者であり調律者でもある夫の高橋辰郎氏がチェンバロを搬送してきたところが、主宰者側の常識であるはずの駐車場の確保がされておらず、高橋氏は、会館側にすぐに車を移動させるよう求められながら、慌ただしく楽器の搬入作業を強いられることになった。
(この件について、江戸フィルは「会館では事前の駐車場の予約は不可能だった」と主張している。もちろん嘘。)
仕方なく、高橋氏は通用口に車をつけチェンバロを下ろそうとしたが、ここで団員が「こちらではなくて、裏口の方が近いので、そちらから入れてくれ」と指示。会館の構造について熟知しているはずがない高橋氏は、団員の指示に従い裏口に車を移動させた。
ところが、この場所は床面がすべすべではなく凹凸のあるレンガタイルが貼られた場所で、嫌な感じがしたという。
ちなみに、台車で運ぶというのは、少しでも楽器の搬送に関する知識のある人ならわかるように、上に乗っけてガラガラ押していくということではなく、台車の上にチェンバロを載せた状態で、台車を浮かせて運ぶわけです。
この方法なら、万一、搬送の誰かがつまづいたり転んだりしても、被害が最小限ですむわけだし、何らかの事情で搬送者が一時的に手を放さざるをえない事情(ドアを開けるとか)が起こっても、チェンバロは安全なわけです。
しかし、いずれにしても駐車場もないし、会館側に急かされている状態だった上、夏の炎天下で、チェンバロを早く搬入する必要があったため、やむなく、高橋氏は、そこで、車からチェンバロを降ろして台車に載せたが、このとき、床面が緩いスロープになっていることに気づいた。
そこで、団員に押さえていてもらうべく「お願いします」と声を掛けて、車のハッチを閉めるべく、1〜2歩戻ったとき、ガシャーンというもの凄い音にふり返ると、チェンバロが落とされていた。
明らかに、高橋氏の指示を待たず、団員の誰かがテール側から、力一杯、台車(またはチェンバロ)を押し、しかも残り全員が誰も支えていなかったのである。
具体的には、台車の車がレンガの目地部分に挟まって動かなくなっていたにもかかわらず、テール側にいた大馬鹿が、力一杯「せ〜の!」とやったわけ。しかも、残りの誰も、軽く手を添えているぐらいのことはしていたかもしれないが、高橋氏が指示していたようにしっかり保持していなかった。とっさに体で庇おうとした奴さえいなかった。
すぐに高橋氏がチェンバロを舞台裏に運び込んで調べたところ、修復不可能なまでに破損していることがわかった。
夫妻は一晩中泣きあかしたそうです。
しかも、事故後、江戸フィルは完全に逃げて、謝罪もなければ、一ヶ月以上連絡さえなかった。
その間、団としての調査もいっさい行っていなかった。
(裁判中、明らかになったが、団長は団員から「台車が穴に落ちてチェンバロが壊れた」と報告を受けて「あー、そう」ですませたらしい)
高橋夫人がたまりかねて連絡をして、夫人が話し合いを持ったが、ここでは、謝罪というより、「アマチュアなんだからしょうがない」「好意で運んだのに」「アマチュア団体でお金はないので賠償はできない」「保険にだって入っていない」の一点張りで、「見舞金10万円」をむりやり押しつけ、領収書を書かせようとした。
また、「謝れって言われても、謝ったら謝ったで、死んだ子は帰ってこないとか言われるんでしょ」などという暴言も。
(このとき高橋辰郎氏は心労のあまり会えない状態だったので、欠席。夫人もストレスのあまり半病人状態だったにもかかわらず、です)
3)その後、当事者の謝罪だけでも、との夫人の要求に、さらに半月後、団員2名のみが謝罪に来る。しかし、明らかに当事者はもっといた。この時点で彼らも、3〜4人はあり得ないが、名前がわからないと逃げていた。同じ団で活動しているメンバーの名前も知らないらしい。
このときも、言い訳に終始し、誠意のある謝罪もなければ、アマチュアだからと開き直って、補償する気もないのが明らかだった。
4) もともと知人であった、八木が相談を受け、あまりの悪質さに、弁護士に相談することを薦める。
職人と音楽家であった高橋夫妻は、裁判には本来、消極的というか抵抗感が強かったが、江戸フィルの対応があまりにあまりで、このまま泣き寝入りさせようとしているのが見え見えだったうえ、被害者である高橋夫人への誹謗中傷まで行っているらしいという噂も入ってきて、裁判を決意。
※誹謗中傷の内容:謝罪に行って100万円を渡そうとしたら、ヒステリックに叩き返されて話にならなかった、などというもの。
数字の桁も違えば、(まあ、100万円でも楽器の価格にはほど遠いのですが)、ヒステリックに叩き返された、というのも.....。
裁判になったとたん、江戸フィル側は、実は保険に入っていた(忘れていたのだそうです)と言いだし、保険会社の調査が入る。
どうも、保険を使うと保険料が上がるので、使わずに泣き寝入りさせるつもりだったらしい。以前、コントラバスの事故があったときも、これが団員だったこともあって、泣き寝入りさせたのだそうだ。
その後、加害者団員と保険会社の弁護士が結託しての、悪質な偽証の数々が始まる。
高橋氏が、団員だけでチェンバロを運ばせた事実があった(もちろんそんな事実はないし、そのときのやり方と彼らが主張している立ち位置ではチェンバロは運べない)とか、そもそも運んだ団員は3人だったとか(それ以前に彼ら自身が、運んだのは3人ではないと言っている録音があるのに。それは「勘違い」だそうです)、チェンバロを運ぶ以前に台車に置いた瞬間に、台車が崩落したとか(江戸川区の表彰も受けているプロ中のプロの木工技師の高橋氏が作った紫檀製の台車が、豆腐のように崩れるものらしいです。そんな技術の人がどうやってチェンバロを作れるというのだろうか)
まあ、そんなような状態です。
ちなみに、団長は「江戸フィルは江戸川区から補助を受けてないから、お金はない」と言っていましたが、これも嘘で、年間300万円以上の補助が出ていることも明らかに。もちろん、活動報告をするという条件でですが、2006年に起こったこの事故の報告はもちろんしていません。
江戸川区に一言、という方は、こちら。
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/ssl/tegami2.html
ええと、実は今、いろいろあって日本にいないのですが、そういうときに自分と関わりのないわけでもない事件が新聞ネタになったので、コメントします。
チェンバロ壊され楽団を提訴
http://mainichi.jp/select/today/news/20080718k0000e040079000c.html
この記事では全部わかりませんが、そもそも信じられないような話なのです。
プロのプレイヤーである高橋夫人をゲストに演奏に呼んでおいて、駐車場も用意せず。(チェンバロを折りたたんで鞄に詰めて来るとでも思っていたのだろうか)
とりあえず楽器を台車の上に下ろしたところを、製作者であり、搬送と調律のプロである高橋氏(夫)の指示も待たずに、団員が勝手に動かしたのです。
それも、下がガタガタのところを「せ〜のっ」と押して、台車の車輪がレンガに挟まって動かなくなると、これまた馬鹿みたいに力で押して、台車をぶっこわしたあげく、しかも上に乗っていたチェンバロを誰も押さえてもいなかったという、あほ丸出しの事件です。
楽器には振動を与えてはいけないと言う最低限の常識も知らなかったらしい。
あげくに、「わざとやったんじゃない」だの(わざとやったら犯罪だよ)
「弁償しろと言われても、アマチュアだからお金はない。ないものは出せない」と暴言の数々。
(金がないと駄々をこねればすむと思ったらしい。しかし、後でわかったが、被告は医者と坊さんと企業経営者)
しかも、事件後、謝罪と称して、たった10万円入りの封筒を押しつけて、無理矢理領収書を書かせようとまでした。
音楽監督自身が、「アマチュアって、自分の楽器は大事にするけど、他人のはいい加減に扱うものなんですよ」と開き直る始末。
嘘じゃないですよ。これみんな私は「目撃した」のです。
高橋さんは大変温厚な人なのですが、あまりにあんまりの江戸フィル側の非常識さに、やむなく裁判せざるを得なくなったわけで。
そのあげく、裁判に訴えられると、口裏あわせて偽証の数々。
楽器を置いたとたんに、頑丈な台車の足が豆腐のように砕けたのだそうで、団員のせいではなくて、台車のせいだそうです。
(こういう、あまりに頭の悪い嘘なので、どんどん矛盾が出てくる。そもそも当事者が「台車に乗せて押したらバキッといった」とはっきり言っている録音もあるのにさ....
江戸川フィルすべてが腐っているとは思いません。でも、まともな人がいるなら、本当のことを語りましょうよ。
ブラジル.....といっても、怖い名画の方ではなくて。
月曜日に行って参りました。エグベルト・ジスモンチ。
彼の音楽はなんと言いますか、ジャンルを超えたジスモンチとしか言いようのない音楽です。
強いて言うなら、フリージャズとか即興音楽系になるのでしょうが、高度な音楽性と並外れたテクニックに裏打ちされたそれは、なんといいますか、「天からなにかが落ちてきている」というか「なんか凄いものが憑いている」という感じのライブだったのでございます。
そして、ジスモンチがジスモンチである最大の魅力は......これは私だけかもしれませんが、とてもビジュアルなのです。いや、音楽なんですが。
熱帯雨林.....迸る滝......静かな水の流れ......
そういったものが、それはそれはとてもとても鮮やかに見えるのです。
そういう音楽家は滅多にいません。
体調が悪かったとのことでしたが、かえって鬼気迫っていたのかもしれません。でも、良いコンサート、充電させてもらいました。
パンチョ・アマート(フランシスコ・アマート)のコンサートが近づいております。個人的にはパンチョ・アマートというよりは、パンチョ・アマットというほうが発音が近いと思うのだけど、まあ、そういう名前で宣伝されていますので、ここは、アマートということにしておきましょうね。
(ちなみに、チラシには、フランシスコ・パンチョ・アマートと書いてありますが、これもちょっとね。パンチョというのはフランシスコのあだ名。つまりフランシスコ(パンチョ)・アマートという方が正確。)
パンチョは、70年代に結成されたキューバの学生バンド、マングアレのリーダーでありました。このマングアレ、じつは結成当時はなんとフォルクローレのバンドだったのですね。
といっても、キューバの民謡という意味でのフォルクローレではなくて、南米のいわゆるフォルクローレです。まあ、その当時、それだけ南米のフォルクローレが世界的に流行っていたということです。
ちょうど、時代背景としては、チリにアジェンデ政権も成立していましたし。要するに、現在とは全く別の意味で、「南米が熱かった」わけです。
で、マングアレは、アジェンデ政権とキューバの友好関係のもと、チリに音楽留学して、なんと、インティ・イリマニに弟子入りするわけです。
インティ・イリマニといえば、かのビクトル・ハラやエルネスト・カブールの薫陶を受けたチリのフォルクローレ・バンドですね。
ここで、リーダーのパンチョはチャランゴを弾いていた、と。
その後、マングアレは、南米のフォルクローレから、キューバのフォルクローレ方向へと進路を変え、パンチョもチャランゴからトレスへと楽器を持ち替え、キューバ最高のトレス奏者としての名声を得るまでになるのです。
ただ、この「キューバ最高のトレス奏者」という評価について。
ただ、早弾きができるとかそういうことだけではないのです。
それまで弦楽器とはいえ、決まったリズムパターンで演奏をするという使われ方しかしていなかったトレスに、柔軟なソロ奏法を取り入れ、それをまた、高度にやった。
パンチョの功績はこれに尽きます。彼はトレスの奏法に革命を起こしたわけ。
で、これは、おそらく南米で学んだチャランゴ(エルネスト・カブールがチャランゴを伴奏楽器からソロ楽器へと進化させ、それをさらに受けついたのがインティ・イリマニであったということを含め)と関係がないわけではないでしょうね。
マングアレ解散後、パンチョは、アダルベルト・アルバレスのバンドに入ります。
キューバのソンはというと、80年代、いったん沈滞期に入っていました。ソンにサルサを取り入れて、頑張っていたロス・バンバンなど、もちろんいいグループは色々あったわけですが、全体としてはキューバの中で、やや落ち込んでいたのですね。
その中から、ふたたび、ソンの黄金期をつくった流れの中の中心にいたのが、この、アダルベルト・アルバレス。
なんたって、このアダルベルトのデビュー時にプロデュースしていたのが、シルビオ・ロドリゲスやパブロ・ミラネスのプロデューサーであったフランク・フェルナンデス御大なのです。
サンティアゴ・デ・クーバの強烈な揺れのあるノリに、素晴らしいメロディ。さらに洗練された歌詞や編曲。
このアダルベルトのバンドに、さらに、超絶技巧の天才トレス奏者としてのパンチョと黄金の声のロヒータが加わった90年代の「アダルベルト・アルバレス・イ・ス・ソン」は、そりゃもう天下無敵って感じでありました。
当時、あのバンドと競演したり、一緒にステージに立てた私は幸せもんであります。
(で、楽屋で、パンチョと八木は「アルフォンシーナと海」を一緒に歌ったりしていた....大爆)
そして、やがてパンチョはそこからも独立して、自分のバンドを構えます。まあ、これも自然の成り行きというものでしょう。
ただ、パンチョの音楽の豊かさは、ただのトレス早弾きつきで、キューバ音楽のスタンダードを演奏できる、みたいなもんではないのは、上記でもおわかりでしょう。
単に、キューバ音楽ファン相手だけではもったいない。
いや、もちろん、キューバ音楽好きな方々が逃すべきではないライブではありますが、ジャズ系の方も、もちろんフォルクローレ系、「ヌエバ・カンシオン系」の人にも絶対おすすめのライブです。
よみうりホール公演(7/1)はまだ席に余裕があるみたいです。
このあとには、エグベルト・ジスモンチのライブも控えているし、ちょい嬉しい悲鳴。
続報です。まず一個訂正。
カルロス・メヒア=ゴドイだけではなくて、弟のルイス・エンリケも同様の申し立てをやりましたので、メヒア=ゴドイ兄弟そろっての行動ということです。
で、その申立書を見ますと(なんで八木がそんなもの持っているのだというツッコミは不可ね)、もう事実上の、サンディニスタ(およびダニエル・オルテガ政府)との決別宣言のようです。
サンディニスタの方は、「民衆が音楽を聴く権利を不当に制限するもの」と反論しているようですが。
昔、ある人と「自由」について議論したことがある。
その人は言った。
「自由という言葉の意味を明確に定義しないまま、自分の都合で使うべきではない。それをやると、おそろしい世界しか待っていないよ」
ケン・ローチの新作である「この自由な世界で」は、まさにそれをカタチにしたような作品である。
主人公はけっして悪人ではない。子供と一緒に暮らすことを望むシングルマザー。悲惨な状況の難民に同情するやさしさもある。そういう「ふつうの」人が、気がつくと平気で残酷なことができるようになる。というより、それを当然のように考えてしまう。そういう映画。
で、その主人公は、派遣会社の経営者なんである。
それと同時に、なかなか読み応えのあった、秋葉原事件のエントリー。
http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2008/06/9_3d6c.html
あと5年ぐらいて、もしかしたら、ここからマルコスが出てくるのかもしれない。趣味のサークル活動の人たちからじゃなくてね。
カルロス・メヒア=ゴドイといえば、サンディニスタ革命の時代に、サンディニスタ賛歌(Himno de la Unidad Sandinista)をはじめとする「武装したギター(Guitarra Armada)」シリーズ、そして、「ニカラグア・ニカラグィータ」のように、もう半分ぐらいニカラグアの国歌のように愛されている美しい歌曲を作った「革命歌手」である反面、その一方で大爆笑系コミックソングをヨーロッパで大ヒットさせるなど、多彩な作風の作曲家だ。彼がニカラグアを代表する音楽家であることは疑いはないし、少なくともスペイン語圏中に彼の名前は轟いているぐらいの有名人ではある。
最近だと、彼の子供の一人でアメリカ在住の息子が、米国でイラク戦争に反対して、イラク任務途中で良心的兵役拒否を宣言して、アメリカでも大ニュースを起こしたものだった。(最近といっても2004年5月のことだけど。ちなみに、カルロスは何度も結婚離婚を繰り返していて、子供がかなりたくさんいる)
で、そのカルロス・メヒア=ゴドイが、ニカラグア与党サンディニスタに対して、「『サンディニスタ賛歌』を除外したすべての彼の作品の使用を禁じる」宣言を行っちゃったようである。一方的に宣言しただけではなく、スペインの著作権協会とかにも申し立てを行ったようである。本気やね。
近いうちにニカラグアに電話かけて直接事情を聞かなくちゃとは思っているけど、なんとなく察しはつかないでもない。いわゆるサヨクにありがちなんだけど、「仲間」と思っている人の作品は勝手に無断使用してもいいと思ってんじゃないか、みたいな勘違いが、いまだに結構あるのだ。「連帯」を大義名分にしていたら、なにやってもいいと思ってる、みたいなね。たとえば、自分らの団体の資金集めのために、平気で「仲間だと思ってるアーティスト」の海賊版作って売っちゃったり、配ったり。コンサートを依頼しておいて、ギャラや経費も払わないとか、払う段になって値切ってくるとか。勝手なときだけ、無料で選挙のキャンペーンソング作ってくれとか。
私にしたって、この手の人たちに、ムカつくことをされたことは一度や二度ではないと言っておこう。
んで、そのくせ、そういう団体ほど、ちょっとメジャーになって自分らにたまたま使える資金ができて金出せるようになると、いままで世話になった分をちょっとでも返すどころか、平気で「TVで有名な人」とか呼んで言い値のギャラ平気で払ったり、意外に収益が上がったりすると、自分たちの仲間内で分配しちゃうんだよね。(そういうときは除け者なのだよ)
はっきりいって、80年代にあれだけ盛り上がってたラテンアメリカの新しい歌運動が、衰退しちゃったのには、こういう「ナイーブで自分勝手なサヨク」の勘違いも理由のひとつだ。特にメキシコね。目先につられて、結局、アーティストを育てることも、本当の意味で応援していくこともしてこなかったからだ。
あのね。良心的なアーティストだからって、霞食べて生きてるわけじゃないのよ。みたいな。だから、いわゆる「心あるアーティスト」たちも、みんな、政治団体や運動から一線を引くようになっちゃったわけ。べつに心を捨てたわけじゃないけど。ね。
で、メヒア=ゴドイ兄弟ってのは、その中でも、サンディニスタという政治団体の看板であり続けたんだけど、そうですか。ついにですか。堪忍袋の緒が切れるようななにかがあったのだろうなあ。

昨日の三択クイズの答えです。
次の3つのうち、メキシコにないのはどれ?
ないのは3あるのが1と2です。
チリシャンプー、目に入ったら痛そうなんですが、使ってる人の話によると、そうでもないようです。なんとなく抜け毛には効きそうな気がします。
3のオタ寿司屋、実は存在するのですが、メキシコではなくてチリにあります。その名も「KAME HOUSE」
http://www.restaurantes.emol.com/ficha/ficharest.asp?id_restaurante=5326
がらがらへびのぬいぐるみの写真もどこかにあったはずですが、すぐに出てこないので、今度行ったときに撮ってきますね。
今日って、エイプリルフールじゃないよなって、思ったの、私だけじゃないでしょう。
それとも、「次の3つのうち、ホントはどれ?」みたいなクイズネタにしか見えないってのは、もうなんかに毒されているってことなんでしょうか?
.....それではクイズです。
次の3つのうち、メキシコにないのはどれ?
ほぼリアルタイムで聞いてしまったのですよ。
「バッカじゃなかろか☆ルンバ」
5/29の巨人楽天戦、9回裏。2死からなぜか巨人・矢野が盗塁を試みて、あっさり刺されて、ゲームセット。
そのあとの、野村監督のコメント(?)であります。
なぜ、阪神ファンである私が、この日、巨人戦を見ていたのか、には、いろいろと深い事情がありますので、さておきまして。
ま、それはそれとして、本当にあったんですね。
「バッカじゃなかろか☆ルンバ」
http://www.zakzak.co.jp/spo/2008_06/s2008060223_all.html
すでにネットではかなりの話題になっているようです。
いやあー、GW以後、日記を書かないので、八木はどうしたと思われたことでしょう。まあ、一言で言いますと、雑用で忙しくしておりました。ついでに、そういうときに限って、周囲が次々と病気でぶっ倒れてくれるので、もうそりゃ、面倒ったらありゃしない。
結果的には、どれも大した病気ではなく、みんな一週間ぐらいで回復してくれたので良かったのですが、一時は謎の伝染病発生かと血液検査を行ったり、まあ、いろいろと(笑)ございまして。
その間にライブもあったりしたもんですから、スリルとサスペンスですわ。(大爆)
今年の風邪は、妙な微熱が長々と続きますので、皆様ご注意を。
それから、過労が原因で全身に高熱を伴う蕁麻疹が出ることもあるので、皆様ご注意を。
といっても、夏と冬が入れ混じって毎日転換するような気候じゃ、おかしくなるのもしょうがないかもしれませんけどね。
さて、そう言っている側から、
石原都知事カンヌで笑い者になる
http://news.www.infoseek.co.jp/gendainet/society/story/01gendainet02037094/
築地の移転、築地の人はみんな反対しているんですよね。
そこまでの反対を押し切ってごり押しして、あの場所にカジノでも作りたいんでしょ。で、その施設のトップには、また自分の身内かオトモダチ。
ああいう男に票を入れる東京都民がたくさんいたというのは情けない限りですが、まあ、ヒットラーだって民主的に選ばれたわけですし、大阪府知事だってアレなんですから、そこが「民主主義」の落とし穴といえましょう。
GW中....というより、4月27日から5月9日まで滞在していた母親が帰ったので、ほっと一息。
というと、まるでこっちが世話していたみたいだが、実際のところ、後に残されたのは、ぴかぴかのお家である。
いやこれが、大掃除したときよりきれい。
ガラスのコップもぴっかぴか。
...普段の手抜きがえらくバレてしまったのであった。
とはいえ、なぜか、この間も料理担当は私だったので、いろいろ作りましたがな。鯛の香草焼きとか、ポークソテーのオレンジソースとか、パエジャとか。もちろん、中華や和食も作りました。海老と茸の炒め物とか、マグロ頬肉の竜田揚げとか....。
でも、まあ、せっかくなので、一人暮らしの彼女が家で食べないようなものを、と思ったりしたわけで。
中でも結構、好評だったの、パエジャでしたね。
パエジャそのものはそんなに難しくないのだけど、今回は、ちょうどあった鯛の頭もいれちゃったので、鯛飯風味も加わり、見た目も派手なら、味も最高だったです。普段は鶏の骨付き肉などを使うのですが、これもいいかもしれません。
(ちなみに、貝はムール貝じゃなくて、これまた頂き物のあさりだったりします)
よりにもよって、このゴールデンウィークの時期に上京してきたうちの母親を、家に閉じこめておくわけにもいかないので、東京の超穴場に連れて行くことに。
都心に近いにもかかわらず、そりゃあ見事な建築で、なかなか見られるものでもなく、私自身、リフレッシュしたいときに、ときどき出かける場所。
なのに、ほとんど観光客はいないのです。
その場所とは、「東京ジャーミイ」。
代々木上原にある、オスマン様式の美しいモスクです。
信者でなくても、礼拝堂の見学もできるのです。
礼拝室内部に細かく施されたカリグラフィのペインティングや、タイル、ステンドグラスは本当に美しい。
もちろん、節度のある服装で、女性はスカーフを被るのが礼儀ですが。(ちなみにスカーフは貸してもらえます)
一階には、伝統的なトルコの家の応接間を再現した小部屋もあって、ここで一休みもできます。中でお茶を飲んだりすることができないのだけが惜しいところですが、まあ、観光地ではないので、仕方ありません。
このモスクのすぐ近所には、小さなカフェを併設したちょっとおいしいケーキ屋さんがあるので、このあと、ちょっとお茶を飲んで一服してから、そのままちょっと歩いて、メキシコ料理のライブレストランの「テピート」さんへ。
ここは私も何度かライブをやったことがあるお店なんですが、自分が歌う日って、あまり思い切り食べられないので(いやそれでも食べてるけど)、今日は母親連れでお客さんとして。
東京のメキシコ料理店、他にもいくつかありますが、お客として電車に乗って食べに行きたいと思うお店はちょっと他にはありませんのです。
魚介のセビッチェ、グアカモレ、海老のテキーラ風味など、今日もすばらし。
お店を切り盛りしていらっしゃる奥様は、もともと懐石料理の達人でいらっしゃるので、メキシコ料理に、いい意味で日本的な風味(たとえば盛りつけの美しさや繊細な味付け)が加えられて、初めての人でもとても食べやすいお料理です。相談にも乗ってもらえます。
そして、このお店の特に凄いところは、レギュラーで演奏していらっしゃる、かのトリオ全盛の時代の伝説的なバンドのひとつだった「トリオ・デルフィーネス」の元リードボーカルだったヘスス・オロアルテ氏ことチューチョさんの存在。齢70をとうに越えていらっしゃいますが、黄金の喉は健在です。
はっきりいって、サン・アンヘル・インみたいなメキシコの超一流レストランでも、このクラスの方がライブで出ていることってふつうないので、このお店の贅沢さは尋常なものではありません。だんだん予約の取りにくい店になりつつあって、来年の今頃は予約3ヶ月待ち、とかいうことにならないことを祈るのみです。(でも私のライブの時にも、皆さん来てね)
うちの母親も濃い一日に大満足でした、と。
ええと、世間はチベット問題で盛り上がっているのに、八木さんの意見はどうなんですか、というご指摘を、とある飲み会(笑)で、某放送局の方からいただいてしまいました。
それはですね。よく知らないことに、知ったかぶりでコメントをつけたくないから、でございます。
で、私は現中国政府を全面的に支持しているわけでもなんでもないので、誤解を招きたくはないのですが、今回のチベット問題に関しては、そもそものニュースソースはずっと、「ラジオ・フリー・アジア」という放送局となっていました。
この放送局は、アメリカの資金提供で作られている放送である、ということと、この種のアメリカ国務省支援の放送局(要するに謀略放送です)は、チベットに限らず、アメリカの国益と密接に関わりのある国家や地域の独立あるいは反政府運動を支援するという名目で存在し、アメリカに都合の悪い政権叩きのために使われています。
有名なのは、反キューバの「ラジオ・ホセ・マルティ」なんかですが。
「自由と民主主義を護る」というのは、そこだけ聞くと美しい言葉ですが、それが古くはチリのクーデターやパナマへの侵攻や、ニカラグア・サンディニスタ政権への攻撃の口実であり、最近では、イラク侵攻の口実にされていたことを、なかなか私などは忘れられないのであります。
ついでにいうと、亡命チベット政府というのも、アメリカの資金援助で保っている団体のようではあります。
http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CEFD61538F931A35753C1A96E958260
うーん、個人的には私、ダライラマ、どっちかというと好意を持っているのですが。
あと、信じるかどうかは別として、こういう記事もあったりします。
http://www.asyura2.com/07/asia10/msg/502.html
http://a-odagiri.seesaa.net/article/92589606.html
そんな矢先に、朝日新聞にこのような記事が出ておりました。
http://www.asahi.com/international/update/0422/TKY200804220053.html
「国境なき記者団」は、ノーベル平和賞受賞団体である「国境なき医師団」をもじって(というか、あえて意図的に混同を誘発するために)作られているた
め、誤解を招きがちですが、「国境なき医師団」とは、なんの関係もない団体です。
で、かなり右派的傾向が強いということも書こうと思っていたら、フランスに強いジャーナリストのにむらじゅんこさんが、こちらに詳しくその内情を書か
れていたので、ぜひ、このエントリーをお読みください。
http://junquonimura.jugem.jp/?eid=92
つい先日、頂き物のかつおを、半分は刺身でにんにく醤油としょうが醤油でいただき、残り半分をタタキにして、茗荷と紫蘇の薬味とタレ(味醂と醤油)で。
いや、日本人に生まれて良かったと思いますね。
その翌日、かぼちゃのポタージュと鶏のわさびマヨネーズソースを作る。
というか、冷蔵庫を確認したら、そろそろやばいかも、というかぼちゃがあったので、それを煮てミキサーにかけたのが、ポタージュ。
もうひとつは、冷凍室にあった鶏の腿肉を解凍してソテーしたものに、これまた残り物の手作りマヨネーズ(もちろん、油を一滴一滴落として作ったわけではなく、バーミックスであっという間に作ったやつ)と残り物の本わさびをすりおろし、少し牛乳で延ばしたものを載せたもの。
いや、じつは、先だって某フレンチ系レストランのランチで、同じコンセプトのものを食べたのだけど、どうもそこの味が気に入らなかったわけ。いや、まずいってほどではなくて、それはそれでまあおいしかったんですが、わさびが強すぎて、鶏の風味を殺しているような感じがしたのね。
で、ちょうどうちに、わさびとマヨネーズがあったので、「私ならこうやるぞ」というわけね。
(たぶん、普通の市販のマヨネーズとチューブ入り練りわさびでも、丁重に味を見ながら作れば、かなり美味しくできると思います)
で、昨日は、豚の吟醸漬けです。豚肉の安いときに買っておいて、味噌と酒粕で漬け込んでおいたのを焼いて、かぼちゃのポタージュの残り。和洋折衷ですね。
暖かな日が続いたと思えば、土砂降りと、さすがに春は荒れますね。
大阪ツアーのあと、すっかり日記の更新も滞っておりました。
パソコンの外付けハードディスクの調子がおかしくなって、これはやばいとデータを移送しているうちに、ついにご臨終。しょうがないから、なんとか救えるものを救ったり....という作業をしていると、すっかり手間と時間と頭を使ってしまいました。
手間と時間と頭を使ったのはもうひとつ。
MySpaceというコミュニティ・サイトに私のページを設けました。まあ、ページを設けるの自体はべつに大した手間じゃないのですが、レイアウトがかなり自由にできるので、つい凝ったことをやってしまったのです。
良かったら、こちらもごらん下さい。
http://www.myspace.com/nobuyoyagi
(いきなり音が鳴りますので、職場等からアクセスの方は、ご注意!)
遅ればせながら、関西ライブツアー楽しゅうございました。
高槻は土砂降りに当たってしまって、どうなることかと思いましたが、おかげさまで満席ありがとうございました。南風楽天のおいしいエスニック料理もひさしぶりに食べられて、とっても幸せ。
続く中崎町ライブ、これも祝日の夜という設定がやや不安だったのですが、「ここ数年、来たくても来られなかった」という懐かしい方複数とお会いできました。
西本さんの「メチャ巧」ギターは相変わらずとして、とくに村治進さんのスティールパン、好評でしたね。
スティールパン、または、スティールドラムという楽器自体があまりメジャーとは言えませんので、「ドラム缶を切って作った楽器....?それと八木のボーカル....?」と悩みながらおいでになった方もおられたようですが、あの繊細な美しい音にすっかり魅了されて、「八木さん、次はスティールパンとCD作ってください」。
.......うーん誰かお金出してね。(笑)
さて、ところで、米兵レイプ事件が三浦和義さん逮捕で一気に消えてしまった(しかもその間に被害者告訴取り下げ)このタイミングの素晴らしさに負けず劣らず、わりとよく、素敵なタイミングで登場される、あのビン・ラディン氏の映像を、じつはとっても意外な会社が配信しているという、面白い指摘です。
http://alcyone.seesaa.net/article/90978360.html
さて、3月に入って、私が気分よく、ちらし寿司だのはまぐりの潮汁だの甘酒だのを作っている間に、南米ではきな臭いことが起こっていました。
エクアドル領内で、コロンビア政府軍がコロンビアのゲリラFARCに対する攻撃をしかけたことで、エクアドルとコロンビアが国交断絶。
続いてベネズエラも、コロンビアとの国境に軍を集結させていると。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2358343/2694621
http://www.afpbb.com/article/politics/2358985/26981
ゲリラ問題に詳しいと一部で思われているらしい(誤解だけど)ワタクシとしてはですね、たとえ日本のマスコミがほとんど報じていないとしても、やはりちょっとは解説しておくべきでしょうね。
コロンビア革命軍FARCは、2002年に当時の政府との和解交渉の決裂のあと、フランス系コロンビア人の元国会議員であるイングリッド・ベタンクール氏を始め、数人の人質を取っていた。(報道によっては「フランス人国会議員」となっているものもあるけれど、これは、彼が、二重国籍、つまり、コロンビア人でありつつフランス人でもあるから)
で、ベネズエラとエクアドルが仲介となって、その解放交渉と和平交渉を行ってきていて、今年の一月から、次々に人質が解放されていた矢先だったのである。
その矢先に、コロンビアのウリベ大統領は、一方的に交渉を打ち切り、挙げ句にこの始末というわけだ。
しかも、密林とはいえ、エクアドル領内にコロンビア軍が越境しての攻撃で、FARC側の交渉役であり、かつ、ナンバー2であるレジェス司令官が殺害された。
いままでの交渉はぶっこわされて足蹴にされたわけで、FARCが態度を硬化させるのは火を見るより明らか。
いままでの努力を無駄にされ、顔を潰されたベネズエラとエクアドルが激怒するのは当たり前。という状況である。
べつに、単純にベネズエラのチャベス大統領とエクアドルのコレア大統領が、ゲリラを応援しているわけではないのだ。(日本でわずかに流されている報道だけ見ていると、「まるで」そう見えるのであえ